benicandyの日記

公開型メモ帳のようなもの

魔法的なものを魔法的なものだと認めること

 

今,巷にはありとあらゆる”魔法的なもの”が蔓延しています.

 

例えばこの記事を書いているキーボードやコンピュータ,画面を表示するモニタ,あるいはスマートフォンなんかそのわかりやすい典型的な例ではないでしょうか.

 

少し視点を広げてみてみると,例えばTwitterでは,中身がいないbotのアカウントにリプライを送る人が多数いるのを見ると,ある種アンドロイドが完成したようにも感じられたり,他には最近話題の仮想通貨なんかも,なぜただのデータの塊がお金と交換できるのかとか.

 

あるいは,どうやっているのかわからないけれど感動的な芸術作品を次々に生み出せる人は,魔法的な人であるともいえます.

 

ぐんぐん掘り下げていくと,最終的には今の社会や経済が成り立っていること自体が魔法的であるともいえますね.

 

ざっと挙げたようなこの”魔法的なもの”の正体は,要するに成り立ちがわからないもののことです.これらの成り立ちがわからないものには,自力で調べてなんとかなるもの,自力で実行してなんとかなるもの,自力ではどうにもならないものの3種類ほどに分けられると思います.

 

私はこのような魔法的なものについて,魔法の中身が自分に興味のあることで自分でなんとかできそうなものについては,何となく知っておきたいと思うことがよくあります.

 

ですが先ほど述べたように,魔法的なもの,そして魔法的な人は世の中にあふれており,全てをフォローすることはおろか,その1%だけでも非常に困難になります.

 

そのため,中身を知りたいと思いつづけて悩みを抱えることがよくあります.

 

そこで,魔法的なものは魔法的なものなのだと一旦認めてしまい,本当に必要なときにだけその中身と向き合うようにすることで,このような悩みを抱えないようにできないかと考えるようになりました.

 

最近なんとなく大事かなと思っていることの一つです.

 

 

 

記事としての初の記事,なんだかよく意味がわからない記事になりましたが,おそらくこんな感じのを載せていくことになりそうです.意味がわかるように書くのはすごく疲れるので,とりあえずのほほんと書いていくのが継続のためには一番かなと思ってます.