benicandyの日記

公開型メモ帳のようなもの

かわいいは正義

 

かわいいは正義

 

これこそが唯一の人類普遍の真理であるといっても過言ではないと,最近思っている.さすがに唯一は言い過ぎだとしても,これを認めざるを得ないと思うことが多々ある.かわいいものを見ると癒される.かわいいものに憧れる.かわいいものになりたいと願う.というか,”かわいい”の文字列がすでにかわいい.不思議である.

 

あまり政治的イデオロギーについて記事内で言及はしたくないので明言を避けるが,ここ最近米国を中心として日本でも,よく女性と男性の関係性について議論がなされており,その様相は日々熱を帯びるようになっている.過激な意見も多く見受けられる.

自分の立場としては,それぞれの主張を明確に相手に伝えることをしてから,話はそれからだという考えだが,そんなことはさておき,とりあえず男性は法的権力を有した女性に対し萎縮せざるを得ない状況になりつつある(だからといって男性の横暴が許されるわけではないが).当然ながらこれでは問題の本質的解決にはならないのだが,現状はあまり良い方向に向かっているとは思えない.ある男性が女性の美しいことについて言及しただけで法的権力を振りかざされかねないような状態が自然であるとは言えないと考える.カワイイと言われたくない相手に対して権力を振りかざすのであれば,当然カワイイと言ってほしい相手も同じような目に遭うことを避けるに違いなく,お互いに好ましくない.したがって,慎重に事を進める必要があると思っている.

 

しかし,大きなパラダイムシフトによって自然が自然でなかったことに気付くことはよくあることであり,このような考え方が自然ではなくなることもあり得る.少なくとも,現状のような動きが加速するならば,十分にあり得る話だと考えている.

なぜかというと,これまでの社会で女性が担っていた役割を代替しうる技術であるVR技術が台頭してきたからである.

 

VRは最近ではややブームが収束気味といった感じだが,少し前にPSVRが登場したときに色々なところで紹介されていたので,どんなものかは大体検討がつくと思う.

 

このVR技術は様々な恩恵をもたらしてくれると信じているが,その役割の一つとして,これまでは基本的には女性だけが有していた”かわいい”の役割をコモディティ化し得る技術であると考えている.この動きは最近のVtuberブームなどに顕著にみられる.ここで使用されるアバターはなぜか(?),かわいい女性アバターばかりだ.ここから,男性目線ではかわいいものとして愛でる対象が女性からVRアバター(とその中の人)に,女性目線ではかわいいものとして愛でられる対象が自分からVRアバターに,それぞれ移ったという解釈ができる.

つまり何が言いたいかというと,もし現状の動きがさらに活発化するようであれば,男性は女性にかわいさを求める代わりにVRアバターにかわいさを求める動きが加速するのではないかということである.さらに言えば,アイドルのファンに見られるように,女性が女性(及び男性)にかわいさを求めることもよくあることであり,これもこの動きの後押しとなると考えられる.

 

すなわち,”かわいいは正義”は自然であり,それゆえ,現実でかわいいを愛でることが否定されるならば,現実でない実質世界でかわいいを実現しようという動きが自然に起きているのだというのが私の主張だ.

 

もちろん,現在のVR分野はまだまだ発展途上なので,この主張は特殊解にすぎないかもしれない点には注意する必要がある.

 

ところで,この動きは必ずしも人類にとって好ましいものであるとは考えていない.というのも,これは日本の少子高齢化を加速させるかもしれないからだ.もちろん,ここでも大きなパラダイムシフトが起こり,人工的に子供を生産するなどということになると話が違ってくるが,VRのかわいい代替とは違いここを超えるのにはかなりの苦難を伴うだろう.したがってやはり,好ましくはないと考える.

 

でもまあ,この調子で声の大きい者が理想論(?)を語ったりしながらずるずるいってしまうのだろうなーと思っている.私自身,なんの解決策も提案していないのでブーメラン刺さりまくりなのだが.

 

 

と,雑に綴ったがこんな感じのことを考えているので,最近は”かわいい”について研究するのが理に適っているのではないかと考えるようになった.とりあえず,かわいい絵と音楽からせめてみようと思う.